認知症について ~母の事・第1話~

こんにちは。広島で「癒し」と「ケア」と「楽しい」を、みんなで、どこでも、いつでも、分け合うことを目指している 3anyのアロマケアナース "藤原理香” です。ここ認知症・高齢者ケアの部屋では、看護師や高齢者看護研究者としての科学的根拠に基づいた知識や経験、また認知症の母の介護を通して感じた事や様々なエピソード等をお伝えしていきます。認知症当事者の方、家族介護者の方、認知症・高齢者看護や介護に携わっておられる皆様の認知症・高齢者ケアにとって何か少しでもお役に立てればと思います。

私が、認知症看護や高齢者看護に興味を持ったきっかけの一つである実母のアルツハイマー型認知症の経過について何話かに分けて、書いてみようと思います。今日は母が診断されるまでのエピソードです。

皆さん、認知症と聞くとこのアルツハイマー型認知症をおそらくイメージされると思います。アルツハイマー型認知症の初期症状として顕著なものに、記憶障害があります。この記憶障害がある病気を認知症と思われているかたが多いのではないでしょうか?実は、認知症には様々なタイプがあります。その割合の多くを占めるものに、アルツハイマー型認知症・レビー小体型認知症・前頭側頭型認知症・脳血管性認知症というものがあります。単独で発症する場合のみならず併発するものもあったり、その他の種類の認知症も様々なものがあります。

私の母は、アルツハイマー型認知症になりました。初期はやはり記憶障害の症状があらわれました。アルツハイマー型認知症のかたは、いわゆる物忘れとは違う忘れ方をするのです。母もそうでした。家を出て実家に向かう前に要件を伝え、実家に到着すると、母の姿がない。どうしたものかと電話をすると、「あら、どうしたの?」と。私が向かってきていて何のために来たのかを忘れているのではなく私が電話をかけたこと、向かってきていることそのものを忘れている。「あれ?」と違和感。もともとしっかり者で几帳面で完璧主義者の母です。その頃は祖母のお世話もあり、忙しくしていた母なのと、そんなわけはないという気持ちとで、今日はたまたま忘れちゃったのかなと自分自身を言い聞かせました。その後も毎回というわけではなく、半年くらいが過ぎました。しかし、母のこの記憶障害は少しづつ悪化していきました。やっぱりおかしいのではと思っていると父親から、「このところ、母さんがいろいろ変だ。同じものばかり買ってくる。」いやな予感がしつつ、知り合いの神経内科の医師を受診することとしました。そのとき母は、69歳でした。

診察室に入ると医師は、しばらく私の話や挨拶をしたのち、アルツハイマー型認知症の患者さんかどうかを判断するによく使われる質問をしました。「●●さん、最近一番気になっているニュースは何ですか?」母の返答は、私の願いもむなしく、「最近ね、忙しくてテレビも新聞も読んでなくて…。」と微笑みながら答えた母。あぁ…と衝撃を受けました。もちろん毎日テレビはつけていましたし、ニュースもみていはずですし、新聞もとっていました。そうです、母は教科書通りの『とりつくろい』で医師の質問に答えました。アルツハイマー型認知症初期の患者さんはこのような質問に、知っているかのように答えることがあります。まさに母もそうでした。その後医師は、長谷川式認知症スケールを用いて母に質問を行っていきました。そばにいた私はただただ心臓がバクバクして気持ちの整理がつかずにいました。その時のことはいまでも記憶に鮮明に残っています。診断結果としては、このときはまだ「軽度認知障害・MCI」でした。先に私だけに医師の見解が伝えられ、迷いましたが、母にもこの診断は告げられました。母にとって、家族にとってとても悲しい診断でした。第二話に続く。